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一、酒礼「民以食為天」
すなわち「民は食を以て天と為す」の国家において、飲食儀礼は自然と飲食文 化の重要な部分を構成することとなった。 中国の飲酒、宴会儀礼は、周代の政治家である周公に始まり、およそ千百年の進化を経て、今日 の飲食儀礼が形成されたと考えられている。 酒に関する文化は、飲食儀礼において非常に大切なものであり、酒がなければ宴は成り立たない とまでいわれる。一方で、節度のない飲酒による弊害を嫌い、歴代君主は礼をもって制限をかけた。 酒の風俗習慣は儒家の影響を受けている。儒家は「酒徳」を重んじるが、酒徳という語が最も早 く見てとれるのは、経書『尚書』と中国最古の詩集『詩経』であり、酒徳とは、飲酒をする者は道 義に合った行いをしなければならないという意味である。 言い換えれば、酒を飲むことは食文化に通じ、古くから形成された一種の遵守すべき礼儀作法で もある。 儒家の経典『周礼』、『儀礼』、『礼記』によると、祭祀、飲宴には酒が必要で、どの酒をいつ、ど れだけ、どのように用いるか、礼と酒に関して明確に規定がされている。
(1)祭祀の礼 古代中国において天地、神霊、日月、山川、祖先など、祭祀をとり行う対象は広いが、全ての祭 祀で酒が必要であった。統治者が祭祀をとり行う場合でも、庶民の祭祀活動でも酒は欠かすことが できない秘めたるものであり、酒と祭祀は切り離せないものであった。
(2)宴会の礼 宴を催すに当たり、席次は十分に重きを置かれ、主人、客人がどの席に座るのか厳格に定められ た。歴史書『史記・項羽本紀』に、席次の尊卑観念が記載されている。東西南北で席次に序列を設 け、地位の最も低い随行者は席に座ることが許されず、そばで宴の世話をする。 また、宴会では身分や年齢を考慮した席次が必須であった。上座は、方位によるものと同様に左 右の区別もあった。歴史書『史記・漢文帝紀』に、右が上座の記載がある。宴会の際、上座の者が 席についてから、その他の者は席につくことができた。 時代の発展とともに建築様式が変化し、これにともなって礼儀作法にも変化が生じるとともに、 人々の日常生活の変化により、新しい宴会のルールが形成されていった。 着席後、主人はまず客人の年配者から若者の順に酒を注ぎ、全ての客人に酒を注いだ後、自分の 杯に注ぐ。酒を飲むことができない主人は、酒を飲める親類、友人を主人のかわりに呼ぶこともで きるし、茶またはその他の飲料を酒の代わりとすることもできるが、いずれにせよ、主人は客人に 対し、自らそのことを説明し、客人の同意を得なければ失礼に当たる。 その後、主人は起立し杯を挙げ、客人に向かって酒を勧め、客人も立ち上がって杯を挙げる。主 人は客人に敬意を表し、まずは自分が先に飲むことを伝え、一気に飲み干した後、酒杯を逆さにし、 一滴も残っていないことを示すことで、誠心誠意に来客をもてなすことを表す。 客人はそれに応え、各自が酒を飲み干した後、主人に敬意を表し、主人に酒を注ぎ、次いで自分 に注ぐ。そして、主人は客人にたくさん飲むことを呼びかけ、また酒を勧める。 この儀礼は、古代から今に至るまで続いている。 同様に、主人のみならず客人による礼儀作法も『礼記』に記されている。例えば、乾杯で杯と杯 をあわせる際、客人の酒杯は主人の酒杯よりも低い位置で、また、目下の酒杯は目上の酒杯よりも 低い位置とすることで、敬意を表すなどである。
二、酒俗
社会で生活する上で交際の必要性が生じ、その結果、礼儀作法や風習といった風俗が生まれた。 婚礼、葬式、家の新築、出生、歓迎や送別の宴など、様々な日常生活と社会活動の中で酒が登場し、 豊かで多彩な酒俗が形成されていった。日本でも神にささげるための「御神酒」が神社の儀式で使 われるように、祭事と酒は欠かせない。 代表的なものとして、婚礼の酒俗、祝寿の酒俗、誕生の酒俗、葬儀の酒俗を次に挙げる。
(1)婚礼の酒俗
婚礼の儀式が終わると、親類や友人、同僚など式への参席者は、酒(喜酒と呼ばれる)と料理に 舌鼓を打ち、婚礼の最高潮を迎える。酒席上、新郎新婦は互いの腕を絡め、参席者が取り囲む中、 酒を交わす(交杯酒と呼ばれる)。 特に宋の時代まではひょうたんを半分にしたものを酒杯とし、互いのひょうたんを紅い糸でつな ぎ、酒を飲んでいた。
(2)祝寿の酒俗 人生の 10 年ごと、特に 60 歳以降、年が大きければ大きいほど、寿酒と呼ばれる酒宴が盛大に行 われる。節目を迎えた老人は、児孫の一人ずつから敬礼を受け、特に高齢の老人であれば、老人か ら福を授かることを期待し、隣近所や親戚、友人が集まり長寿を祝う。
(3)誕生の酒俗 子供が誕生して1か月の節目に、神や祖先を祭るとともに子供の健やかな成長を祈り、親戚や友 人を招き、酒宴(満月酒と呼ばれる)を催す。100 日、1年の節目(それぞれ百日酒、周歳酒と呼 ばれる)においても同様である。
(4)葬儀の酒俗 命の誕生に対し、天寿を全うした者の葬式は祝い事であることを意味し(白喜事と呼ばれる)、 忌中の家は、葬儀を執り行った後に酒宴を設ける。 また、春節、元宵節、清明節など、中国人にとって重要な祭日は数多くあるが、そのほとんどで 酒が飲まれてきた。さらに、端午節には菖蒲酒を、中秋節には桂花酒を、重陽節には菊花酒を飲む といったように、祭日によっては決まった特別な酒を飲む場合も多く、現在でもこの習わしが残っ ている地域は少なくない。いずれにせよ、祭日に酒が飲まれるようになったのは、それぞれに物語 があるからである。 例えば、毎年新暦の4月5日前後にあたる清明節には、祖先の墓参りをしたり、若草を踏んで郊 外へ散策に出る習俗がある。この清明節に酒が飲まれるようになったのは、主に2つの理由からだ と考えられている。1つは、清明節の前日あるいは前々日の寒食節6の期間は、火を起こし、温かい 食べ物を食することができず、冷たい物のみ食べることができたため、飲酒によって体を温めるこ とができるということ。もう1つは、酒の力を借りることで、亡くなった親族への悲しみ嘆く気持 ちを一時的に和らげ、心持ちが穏やかになれることである。

三、酒令
「酒令」とは酒に興を添え、思う存分酒を楽しむための酒席での遊びのことである。人々は遊び の味わいを酒席に取り入れ、遊びの勝ち負けにより飲酒する者を決めた。酒令は、文人や官僚階層 がゆったりと酒を楽しむ封建時代の生活の中で生まれ、後に庶民の生活にまで浸透していった。 6 春秋時代の忠臣、介之推とその母が焼死した日といわれる。介之推の焼死を悼み、火を使わず冷たいものを食べる習わしとなった。一般 に人々は寒食節と清明節を一つの祭日としてとらえている。

